たんなるおしゃべり

おしゃべり三夜目

『納得できる「こっちじゃなかった」のために』

おしゃべりを重ねるなかで、僕らは少しずつ「おしゃべりの効能」みたいなものに気がついていきます。他の場所では飲み込んでしまう言葉も、安心できる会話のなかでは、つい口からこぼれてしまう瞬間がある。その感覚が思っていた以上に大きいことを、回を追うごとに実感していきます。そんな流れから、今回の会話では、自己検閲のことや、仕事をするうえでの理想のロールモデル、そんな話題にも触れていきました。

口をつぐむとき、言葉を紡ぐとき

Naru

あえて何も言わないときって、「口をつぐむ」って言いますよね。一方で、言葉がポンポンつながっていくときは、「言葉をつむぐ」っていう。似てる言葉なのに「つぐむ」と「つむぐ」は真反対。この違い面白いなって考えてて。

「口をつぐむ」の場合、目的語は“口”ですよね。「言葉を紡ぐ」の場合は、言葉が目的語。主役は言葉そのもの。つまり、口をつぐむときは、自我というか、自分の側で何かをシャットアウトしている感じがある。でも、言葉が紡がれていくときって、自分がコントロールしているというより、言葉そのものが一人歩きしていく、そんな感覚があるなと思って。

そう考えると、いまの僕はきっと、どこかで「たん君なら分かってくれるだろうな」っていう前提に立っていて。たん君がそこにいてくれるから、自我を気にせずに、言葉そのものをこの空間にポンポン置けている。そんな感覚が、やっぱりあるんですよね。

Tan

それは僕も感じていることですね。普段だと、言葉選びひとつとっても自意識過剰になるんですけど、この会ではそれがあまり出てこない気がします。

Naru

僕はいまも、たん君を説得しようとして喋っているわけじゃなくて。思ったものを、この間に言葉として並べていく、その過程で、不思議と勝手に言葉が紡がれていってしまう。そんな感じがします。

口をつぐんでしまうときと、言葉が紡がれてしまうとき。その違いみたいなものが、これを読む人に「自分が言葉を紡げるときって、どんなときなんだろう?」って、ふと立ち止まって考えてもらうきっかけになったらいいなと思っていて。

偉そうに何かを投げかけたいというよりは、ただ、そんなところにそっと思いを寄せてもらえたらいいな、という気持ちになっています。

自分にオッケーを出す、という難しさ

Naru

その話の延長で、人間って自分を省りみる「自己検閲」をかなり強く持っているんじゃないか、と思っていて。「他人にどう見られるか」って言い換えられるし、自分自身の恐れみたいなものでもあって。自分にオッケーを出す。自分にオッケーをもらう。これって、人類にとってかなり大きな課題というか、本当に難しいことだと思う。

Tan

ああ…自分にオッケーをもらう。

Naru

この前たん君がお店のニュースレターに書いていた話も、これにつながっているなと思っていて。翻訳という正解のない行為の中で、「この言葉選びを自分でオッケーする」っていう判断の話。読み手からしたら「これでもいいんじゃない?」 「こっちでも成立するよね?」って言われそうなところでも、訳者であるたん君自身は、それを許さない、みたいな瞬間があると思うんだよね。「これは違う」っていう感覚が絶対にある気がするんだよね。

※当時丹澤は(TT) pressから翻訳本を出版することが決まっており、翻訳作業をしていた。

Tan

それはありますね。翻訳に関して言うと、訳文だけを見た人は、なぜ訳者がその言葉を選んだのか、そのプロセスまでは分からないじゃないですか。

Tan

でも、自分はいろんな選択肢の中から考えて、これを選んだ。だからこそ、「あの言葉じゃなくこの言葉を使った」と言えることが、アウトプットに対する納得感として、大事なんだと思います。

Naru

本当にそうだよね。自分が納得できる「こっちじゃなかった」の積み重ねは、時間もかかるし、すごく難しい。でもそれがあるからこそ、自分への信頼を獲得できるんだと思う。

一方で、暮らしていると「まあ、これでいいじゃん」って言ってアウトプットして、どんどん先に進んでいく人たちが目に入ってくることもある。そういう人たちを見ると、僕は変な焦りみたいなものが出てきたりするんだよね。

Tan

自分が悩んでいる間に、前に進んでいく人たち。

Naru

自分が「AとB、どっちがいいかな」って逡巡している横で、「いや、考えても仕方ないでしょ。Bで行こう」みたいに爆速で進んでいく人たちがいて。「だって、そうやるしかなくない?」って言われると、反論もできないんだけど。

でも一方で、考えることをやめたら負けな気がする自分もいる。かといって、自己検閲の世界に、ずっと閉じこもりたいわけでもない。

本当は読者に委ねたり、読んでくれる人や、一緒に関わってくれる人たちに委ねながら、それぞれの正解と一緒に生きていけたらいいな、って思う気持ちもあるんだけどね。

Tan

思い切って、検閲を他の人に任せるということですよね。

Naru

自分の中には、「考えるより、まず動くべきだ」っていう声もあるし、「いや、そこで抗うべきじゃないか」っていう声もある。ぐるぐる考えた先で思うのは、結局じぶんを使った人体実験を繰り返して、自分の理解を深めていくしかない、ってことなんだと思う。

自分がオッケーを出せるラインに対して、ちゃんと敏感でいること。「どうやって自分からオッケーをもらうか」っていう訓練をしようとすると、やっぱり、人体実験を重ねるしかないところに戻ってくる。

最近は、ずっとそんなことをやってるな、って感じですね。

Tan

自己検閲を突破することって、本来すごく難しいじゃないですか。でも中には、自分に対して簡単にオッケーを出せる人もいて。それはちょっと怖いなって思う時もあるけど、同時に心強いなとも思います。

そういう人たちは、大抵、行動したあとにそれを正解にしていく人というか。外から見たら間違ってるように見えても、本人の中ではちゃんとオッケーになっている。

それって、すごい資質ですよね。一方で、今の話を聞いていると、黒川さんは決断に対して慎重だし、誠実でありたいと思っている。それに、迷ったり、考えたりしているそのプロセス、その頭の中のぐるぐるも、実は楽しんでいるんじゃないかな、って思ったりもします。

心をなくさない仕事人

Tan

黒川さんにとって、ロールモデルや、憧れに近い存在っていたりしますか? 「自分も、こんなふうになれたらいいな」って思う人。

僕の話で言うと、最近のロールモデルが水木しげると両津勘吉で。生命力が強そうな人がいいなと思っていて、「何があっても最後まで生き残ります」みたいな、あの諦めない姿勢がかっこいいなと。自分も、ああいう感じになれたらいいなって思ってます。(笑)

Naru

実在の人と、実在しない人がロールモデルっていうの、面白いね。自分はロールモデル、ずっと欲しいなと思いつつ、実際にはいろんな人の要素を少しずつ拝借してる感じかもしれない。

だからパッと一人は浮かばなかったんだけど…。でも今の話を聞いて、最初に思い浮かんだ人がいました。翻訳家の柴田元幸さん。

Tan

柴田さん、めちゃくちゃお仕事してますよね。本屋に行くたびに「また柴田さん、新しい本出してる」ってなる。

Naru

本当に。恐ろしい仕事量で。何度か一緒にイベントをやらせていただいたことがあって、Flussで朗読イベントをしていただいたのが最初かな。そのときもリハーサルで「この表現、大丈夫かな」とか、「ここ書き換えよう」と言いながら、朗読の直前まで翻訳を直していて。

自分に対する検閲がものすごく多いのに、進むスピードもちゃんとあるんだよね。「爆速」って言葉とも違って、ズンズン進んでいく感じ。

で、本番直前に「本番お願いしますー」って楽屋をのぞいたら、別の本の翻訳を進めてらっしゃって。一瞬悩みつつも、ぶわーっと書いていく。

たぶん、ご自身で検閲はしてるに違いないのだけど、ものすごいスピードで前に進んでる。本を出して、イベントに出て、朗読して、雑誌も作って…。忙しいのに、人の心をちゃんと保ったまま仕事してる方。仕事量はモンスター級で、正直、真似できないけど。でも、その成立させ方が、すごくかっこいいなって思う。

しかも柴田さんが翻訳してきたからこそ日本語でアクセスできる作品がたくさんあるわけで、作家側も、日本に紹介されたことで救われている人が、きっとたくさんいる。

Tan

ポール・オースターの作品もそうですよね。

Naru

「これは翻訳しなきゃ」って思う本が何冊もあるってことは、原文も相当読んでるってことだよね。どこで、どうやって見つけてくるんだろうって思う。

長くなったけど、柴田さんの人の心を忘れないまま仕事の鬼になる、あの感じにすごく憧れます。

Tan

人の心を忘れないまま鬼になる(笑)。黒川さんに対する解像度がすこし上がりました。

Naru

なりたいよね、ああいう人。

Tan

僕も最近、柴田さんの本を読んでいて。柴田さんが、自分が訳した作品について 「どんな作品でも訳せるわけじゃなくて、自分がやるべき本かどうか、自分で分かる瞬間がある」って話していて、それがすごく面白かった。

村上春樹も似たようなことを言っていた気がして。翻訳って辞書を使えば誰でもできるけど、翻訳家の素質は「自分がやらなきゃいけない」という、勘違いにも近い使命感を持っていることなんじゃないかって。柴田さんにも「これは俺が日本に持ってこなきゃいけない作品だ」っていう感覚があるんだろうなと思いました。

Naru

今の話、すごくよかった。心をなくさないまま仕事の鬼になる方法ってそれなんじゃないかなと思って。

柴田さんって、「自分はここにいる」っていう立ち位置が、すごくはっきりしてる気がするんだよね。日本のブックカルチャーの中で、自分はここに立って、ここに来たものを全部やる、みたいな。「ここにいる限り、自分は自分でいられる」っていう感覚があるから、どれだけ動いても、心を失わないんじゃないかなって。

逆に心を失うときって、「これ、私がやるべきなのか?」っていう迷いが混じってくるときで。そうなると判断がぶれる。翻訳の話も、デザインの仕事も、「これ、自分がやるべきものか?」って、やっぱりちゃんと考えたほうがいいなって思った。

簡単に「そこを目指します」とは言えないけど、でも、この領域で「自分の仕事だ」って思える場所には、行きたいなと思いました。

(おしゃべり三夜目 おわり)

https://shipyard.design/exhibition/article03.html

プロフィール

黒川 成樹(くろかわ なるき)

SHIPYARDの人。つくることで見えてくる、その人らしさや、内に秘めた想いに共鳴するデザインを大切にしています。

丹澤弘行(たんざわ・ひろゆき)

ライター・編集者。出版ユニット(TT)pressのメンバー。東京・東中野で本屋「platform3」を運営しています。最近はギターを練習中。