前回のおしゃべりから、少し時間が空きました。そのあいだに黒川さんは会社の夏休みに入り、僕はおすすめされた本『書くことの不純』を読み始めていました。二回目の会話は、その「夏休みどう過ごしていました?」という話からはじまります。
話しているうちに、「行動の前にある存在」のこと、そして自分の肩書きや、界隈とどう付き合うか、本屋という場所がひっそりと果たしている役割についてまで話が広がっていきました。ただ、「そこにいるだけでよし」と言ってもらえるような感覚について、ゆっくりと考えていく回です。
夏休みの過ごし方
前回の打ち合わせから2週間が経ちましたが、どんなふうに過ごしていました?
この2週間は会社の夏休みで全員休んでいて、自分としては少しプレッシャーがあったんだよね。手を動かしていない時間が不安で。デザイン会社って、ものを作って納品して初めてお金が発生する世界だからさ。
たしかに…休む=お金が動かない、ですよね。
そうなの。でもクライアントさんには「この1週間は休みます」って宣言していたから締め切りはない。普段できない、これから会社をどうしていくか、みたいなことをずっとやってた。
とりとめなく話すけど、前にちょっと触れた『書くことの不純』みたいなこと。なんで自分はデザイナーになったんだろうとか、なんで今の働き方になっていったんだろう…とか考えてた。心理的にはすごく充実してた。
実は僕も、いま『書くことの不純』読んでるんですよ。表紙を見たときは、ちょっとマッチョな本かな?って思ったけど(笑)、読んだらめちゃくちゃ繊細で面白かったです。
※『書くことの不純』は、冒険家・ノンフィクション作家の角幡唯介氏が、探検という行為と、そこから生まれる「書く」という表現の関係を問い直した一冊。まっすぐな行動に「面白く見せよう」という意識が混ざった瞬間に生まれるズレや葛藤を深く掘り下げている。黒川さんが丹澤に勧めた本。
あの表紙、インパクトすごいよね。でも本質は本当に繊細。
読んでて思ったんですが、黒川さんも、自分が書いたり作ったりするものに対して、過剰な演出が足されてないかをすごく気にするタイプですよね。
そうかもしれない。"よこしまさ"に気づいた瞬間、夢から覚めるというか。"よこしまさ"は受け取り手にも伝わると思っていて。自分で信じきれていればいいんだけど、どこかで「あ、これ嘘かも」って思った瞬間、相手も受け取れなくなる。
違う話かもしれないけど、素敵なアイドルって振り切ってるじゃない? 演じてるんじゃなくて、そうあろうとしている。自分でその状態を肯定してる。その姿に、人は惹かれるんだと思う。
ああ、わかる。小手先の見せ方みたいなものを超越した覚悟がある人、いますよね。
そうそう。なんだか、この2週間はずっと行動や成果の前にまず存在があるのかもしれない、ということを考えていて。
この話、なぜかわからないけど、人に説明するときに明石家さんまさんが一番しっくりくるから、さんまさんで説明させてもらうね(笑)。さんまさんって、お笑いモンスターだけど、もし何らかの事情で面白いことが言えなくなったとしても、テレビにさんまさんがいるだけで場が面白くなる気がするんだよね。
たしかに 「声出てなくても面白いさんまさん」って、成立しちゃう気がする。
つまり、さんまさんは「面白いことをする人」じゃなくて、「場を面白くする存在」なのかもしれない。行動じゃなくて、その手前にある「ありよう」に面白さが滲んでいる。
僕らって、つい「何をしているか」で人を見るけど、本当はその前の、「ただそこにいる」状態で発しているものがすごく大事なんじゃないかと思って。最近、自分の中に、何もしていなくても流れているエネルギーがある気がして。そこに気づけたことが、この夏休みの収穫だったんだ。
これは会社としてどんなデザインをしたいのかを言葉にしていく中で出てきた話でもあって。ホームページを整えたり資料を作り直しているときに、ふっと腑に落ちた。
例えば、クライアントがたこ焼き屋さんで、そのロゴを作るとするでしょう。たこ焼きを作る行為をロゴに落とし込むこともできるんだけど、でも、「なんでたこ焼きをやるのか?」そこまで遡ると、家族で分け合えるとか、組み合わせの自由さとか…そういう根っこにある理由まで見えてくる気がして。そうするとね、その人が後にたこ焼き以外の店を始めてもロゴは生きられる。たこ焼きに寄せすぎると、本人が変化したときにデザインが足かせになるんだよね。
最初に決めたロゴやミッションに、自分がいちばん引っ張られてしまうことはよくありますもんね。
でも僕はその人の揺るがない根っこを見つけて、「そこがいいね」って言いたいのかも。そのマインドセットそのものを肯定して、そこに共感した人がその人から買っていく、そんな関係性が好きなんだと改めて思ったんだよね。
何をするか、何を作るかよりも、その手前にある存在そのものに惹かれる。そしていまこうして話しているのも、たん君が聞き出そうとしているというより、たん君という存在が向こう側にいてくれるから、自然に話せている気がするしね。
「存在」をうまく形にする仕事
黒川さんのお仕事相手ってどんな方々なんですか? クライアントの傾向というか、SHIPYARDはどんな人たちと働いてるんだろうと思って。
そうだね。行政とか学校は多いし、あとは会社の中でも「新規事業を担当している人」とか、それ以外だと、個人で新しくお店を始める人、ベンチャー企業、スタートアップ。「自分たちの領域から一歩踏み出そうとしている人」と一緒に仕事をすることが多いかな。
今までいろんな人たちと仕事をして、うまくいくことも、失敗したこともあるんだけど、お客さんに喜んでもらえた仕事を振り返ると、やっぱり「存在」をうまく形にできた時なんだよね。「みなさんが社会にいてくれることには、こういう美しさがあると思うんですよ」と過不足なく伝えられたとき。
やりとりの中で泣いてくださるクライアントさんも多くて。自分の存在って、自分じゃ気づけないからさ。他者が必要なんだなって思う。
自分のことが自分が一番わからないな、って僕も常々思ってます。
誰かに言ってもらったことで確信を持てたり、次の一歩を踏み出しやすくなったり、自分の行動に自信が出たり。そういうことはあると思う。
黒川さんがはじめてplatform3に来てくれた時にストーリーで書いてくれた文章を思い出しました。よすぎてスクショしてるんですけど。まさに黒川さんから見た自分たちの存在を言葉にしてもらった気がして。
ありがとう!「私にはPlatform3がこう見える」というのは正解も間違いもないことだから、あのときは迷わずそのまま伝えたいと思ったんだよね。仕事のときはその見立てが合ってるかどうかも、もちろん大事になってくるんだけど、あのときはまず伝えたいと強く思ったな。
大人になるほど、「あなたってこういう人だよね」と言われる機会は減っていくじゃん。仕事とか、つくったアウトプットに対するアドバイスはあっても、自分そのものには誰も触れない。たぶん、怖いんだと思う。でも、心のどこかでは誰だって、自分という存在が他者にどう見えているのか教えてほしい、という欲求を持っているはずなんだよね。
だからこそ、みんな占いに行くのかもしれないし、コーチングも同じなのかもしれない。でもそれって「誰でもいいから言われたい」というわけじゃなくて、この人になら言われてもいい、と思える確かなラインがあるので。黒川さんはクライアントさんからそこの信頼を得ているんだなと改めて思いました。
東洋と「いいわけ」と西洋の「ジョーク」
さっきの「存在」の話なんだけどね、あれは、東洋的な考え方なのかもしれないなあ、と思っていて。
東洋的、というと?
ざっくり言うと「万物に神が宿る」とか「そこに神がいる」みたいな感覚に近いんじゃないかな。この前、考え方が仏教っぽいですよね、と言ってもらったことがあって。「そうなの?」と、びっくりして、そこからいろいろ本を読んで勉強してみたの。その中のひとつに、河合隼雄さんの『ユング心理学と仏教』があって。東洋と西洋の違いを「スピーチの始め方」で説明してる話が出てくる。これがすごく面白かったのよ。
西洋のスピーチって、最初にジョークを言うんだよね。なぜかというと、「ここにいるあなたたちと私は、このジョークを共有できますよ」っていう、場の空気をつくるために。
「同じ文脈を理解できる仲間ですよ」っていうことですかね。
そうそう。それは個人が独立していて、対等に向き合う世界観が前提だから、まず「私」と「あなた」の関係をジョークで結ぶわけ。でもさ、東洋はスピーチのはじまりが言い訳なの。結婚式とかで「なんで私が話すことになったのかと言いますと…新郎新婦とはこういう関係で…誠に僭越ながら…」という、あれ。
あの枕言葉、なんど聞いたことか!
そうだよね。自分も言っちゃうんだけど。東洋だと「自分は集団の中のひとり」が先にあって、そこからちょっと抜けて話すことに「理由」が必要になる。西洋は「まず個がある」。東洋は「まず集団がある」。その違いがスピーチに表れてる。
ただ。現代社会で生きていたら、西洋的な価値観も当たり前に入ってるから、個が個に向けて語りかける必要性も増えてると思うんだよね。でも、もともと「あなたってこういう人だよね」って存在そのものを言語化する慣習はあまりないから、やっぱり難しい。なんていうか、東洋の文化の中でも、違和感を生まずに個人の存在を言葉にして伝えるが必要なんじゃないか、って考えている、自分なりにやろうとしているのはたしかにあるかも。
お作法を知らない人=お作法を壊せる人
たんくんもplatform3も、異なる価値観や文化を持つ人たちと一緒にものを作ったり、仕事を進めたりしているよね。これはストレスになる人も多いと思うし、自分と合わない考え方に出会うと、遮断したくなる人もいる。でも、たんくんは「あっちも」「こっちも」と、そのまま両方を抱えられる感じがあるような気がして。どうしてそんなふうにできるの?
これが黒川さんの話とつながるかはわからないんですけど、僕、違う文化圏の人たちが集まる環境で働くことが多かったんです。前職は中国の会社で、カルチャーが日本とまったく違っていました。いわゆる日本的なお作法みたいなものが通じなかったりして、最初はかなり面食らいました。
周囲でも、日系企業から来た人が「まず誰々に話を通してから現場で…」みたいな日本的なお作法が通じない担当者にイライラしている場面をよく見ました。僕自身も、違う文化ゆえの苦労をたくさん経験しましたし。
でも一方で、作法を知らない人だからこそ、既存のルールを簡単に壊したり、無意識に新しいやり方を持ち込んだりする。それがすごく羨ましく見えることがあったんです。
僕はわりと空気を読んでしまうタイプで、「ここはお伺いを立てるべきだな」とわかってしまう。そこをあえてしない行かないという選択肢は、けっこう勇気がいるんですよね。だからこそ、わかっていない人だけが起こせる変化って確かにあるなと感じていました。
そんな環境で働いてきたからか、他の人から「あなたはどっち側?」とジャッジされて期待されるのを、無意識に避けてきた気がします。会社の例でいうと「お作法を知っている人なの? どうなの?」と決めつけられないように。この人は分かっているようにも、分かっていないようにも見える、そんな存在でいれば、誰からも強く期待されずに、しれっとお作法を破ることもできる。無意識に、そういうポジションを取りにいっているのかもしれません。
なるほどね、ちょっとした生存戦略だ。
「なんでそんなにジャッジされることに危機感あるの?」って聞かれると、自分でも謎なんですけど。例えば○○界隈ってあるじゃないですか。この○○には職業とか専門分野が入ることが多い。その界隈の人として認知されるのは、プロとしてはいいことだし、キャリア的にも強みになる。でもどこかで「この人は○○の人」という枠に入れられるのが怖い気がして。自分が「これです」と胸を張れるものがない気まずさも、もちろんあるんですが。笑 基本的には「あの人は何してるんだろう」くらいに思われていたい気持ちが、どこかにあります。
わかるよ。
逆張りしてるだけかもしれないですけどね。でも、そういう気持ちは確かにあるんです。
面白い。今日送ってくれたお題の中にあった「自分が本屋だという自認がありますか?」って、今の話とつながってる?
そうです。この前、鳥取の汽船空港という本屋さんに行ったときも同じことを思ったんですよ。オーナーの方は本屋もやっているけれど、議員でもあって、街の運営にも関わっていて、本当にいろんな顔がある。それが羨ましくて。ひとつの肩書きに依存すると怖くなる。「僕は本屋です」と言い切ると、「じゃあこれやんなきゃダメだよ」と言われる気がして。
なるほど。
「あなた○○なんだからこれやんなよ」みたいな圧力ってありますよね。でも役割が分散されていると、もっと気が楽になれる気がするんです。
それすごくわかる。近い動きを自分もしてきているし。「自分、逆張りしたいのかな?」って思ったこともあるし。だから、たんくんの気持ちはすごくわかると思う。
黒川さんも「この人は何の人なんだろう」と思われやすいですよね。
そうだね。もちろん世の中には「野球に関わっていたい」「野球界に恩返ししたい」みたいに、界隈そのものがアイデンティティになる人もいると思う。でも自分の場合は、もう少し抽象的なものが人生の真ん中にある気がしてる。さっき言った「存在の肯定をしていきたい」とか。となると、そのあり方を表現する方法はひとつじゃないはずだから、肩書きはたくさんあっていいと思ってる。
本屋って存在してるだけでいいのかも
デザイナーとして誰かの存在を肯定できる瞬間って、ありがたいし嬉しいんだけど、実はそんなに多くないんだよね。そういうのって、ご縁の中で自然に生まれるもので、「私にあなたの存在を肯定させてください」と構えた途端に、目的がひっくり返っちゃう気がする。
たしかに、いきなりそんなふうに言われたら警戒しますよね。(笑)
本屋を始めた時にすごく良かったなと思ったのが、物を作らなくても相手の存在を肯定できるんだって気づけたこと。1対1の関係の中で、それがちゃんと起きるんだよね。来てくれた人と少しおしゃべりするとか、「この本いいですよね」と話すとか、「お近くなんですか?」とやりとりするだけで。接客といえば接客だけど、例えば「今度孫が来るから絵本を選びたくて」というお客さんと話していて、ふとその奥に「久しぶりにお孫さんと会うからちょっと緊張してるんだな」という気持ちが見えたりする。
そういう瞬間、ありますよね。
それをそのまま言うわけじゃないけど、「この本ならきっと喜んでくれますよー」みたいなことを自然に言えた時があって。お客さんの肩の力がふっと抜けたように見えた。ああ、こういうことってできるんだって思った。本屋って、日常会話をしているだけなんだけど、それが互いの存在の肯定になることがあるんだな、と感じた。そのままでいい、という感じ。
すごく分かります。実は昨日、platform3が1周年で、3人で「何が印象的だったか」を話したんですけど、自分はとっさに「店で人と会えるのが楽しい」と言っていました。
いいね。
僕、けっこう店番が好きなんです。イベントももちろん楽しいけど、店にいること自体を楽しんでいるんだなって気づいた。会社員だと基本的に「いるだけ」じゃダメじゃないですか。パフォーマンスが求められる。でも店番は、ただいることが価値になりうる。それがすごく良かったんです。
本当にそう。「いてくれてありがとう」とか「今日いるんだ」と言われたり、少し話すだけで、存在そのものが肯定される。それって小さな店じゃないとなかなか起きないよね。
自分も肩に力が入っていたんだなって気づける。久しぶりに店に入ると、まずやらなきゃモードで棚を直したり掃除したりするんだけど、ひと通り終わって40分くらい経つと、存在モードに戻る瞬間があって。そこに小学生が来て話しかけてくれたりすると、あ、これこれ、ってなる。本当に救われてる。
これが本屋なのかどうかはわからないけど、街の店の役割って、実はそっちの方が大きいんじゃないかと思うんだよね。前にたんくんが言っていた「東中野で愛される店でありたい」という感覚にもつながると思っていて。
街の中に、店として存在すること。それって本当に大事なんだよ。うまく言葉にならないけど、棚の並べ方とかフェアの作り方みたいなハウツーより、そこにいてくれることの方が圧倒的に大事なんじゃないかと感じてる。WARP HOLE BOOKは特にそう。
すごくよく分かります。商店街にWARP HOLEがあるという事実そのものが、大事なんですよね。
だからこそ「そこにあるから続く」というビジネスモデルにしたいなと思っている。
本当にそうですね。それはとてもいい。黒川さんと話していると「それ僕もやりたい」がいっぱい出てきます。たのしい!
(おしゃべり二夜目 おわり)
https://shipyard.design/exhibition/article02.html