黒川さんと出会ったのは、数年前のことです。黒川さんが営むアトリエのイベントに参加したのがきっかけで交流がはじまり、僕が本屋をはじめる際にも相談に乗ってもらったりと、何かとお世話になってきました。
先日、その黒川さんから「会社が10年目の節目を迎えるので、これまでのことをまとめたい。話し相手になってほしい」と連絡をもらいました。 自分がその役にふさわしいのか迷いましたが、考えてみると、僕は黒川さんのことをまだよく知りません。これまでたくさん話を聞いてもらってきたけれど、じっくり話を聞いたことはなかったのです。 知らないからこそ、知らないふりをしながら、いろいろな話を引き出せるかもしれない。そう思って、このお話をお受けすることにしました。
なんてことのない、たんなるふたりのお喋りは、ときに思いがけない方向へと進んでいきます。
23時からはじまる緩やかなお喋り
黒川さんって、どちらかというと周りの人の考えを引き出したり、ほどいたりする側に回ることが多い印象があって。ご自身が質問されるシーンってあまり見たことがないので、今日はいろんなことを聞いてみたいなと思ってます。 それと、話す時間を23時のオンライン会議で設定してもらったの、良かったかもしれないなって今話してて思ってます。“営業時間”のテンションだと、もうちょっとハキハキしちゃう気がして。今、僕はお風呂から上がったところなんですけど、自然と力が抜けた状態、けっこういいかもしれないなって思い始めてます。
ほんとにね。この感じで問いを投げてもらえるのってありがたいし、嬉しいです。
黒川さん、自己紹介を求められる機会も多いと思うんですけど、自己紹介ではいつもどんなことを話すんですか?
うん、そうだなあ。順番はいろいろなんだけど、必ず言っているのは「本業はデザイナーです」っていうことですね。自分の真ん中にあるのはデザイナーなんだよ、っていうのはよく伝えています。
それで、本業はデザイナーなんですけど、世田谷の尾山台ってところで小さな本屋をやっていたり、そのそばにある大学で教えたりしています。だから、まちづくりとか地域に関わる仕事も多いですね、と話したり。あと、去年から山梨に引っ越して、山梨と東京を行き来する生活をしているんですよ、っていう話もしますね。
ありがとうございます。僕がまだ理解できていないんですけど、「SHIPYARD」という事業のひとつが「WARP HOLE BOOKS」という理解で合っていますよね。WARP HOLE BOOKSがどんなふうに立ち上がったのか、すごく気になっています。最初から本屋をやろうという気持ちがあったんですか?
いえ、実は全然そんなことはなくて。
中目黒で感じたこと、尾山台で見つけたこと
えっとね、そうだな。どこから話そうかな。実家はわりと都心なんですよ。中目黒というところで。
ああ、もう中目黒というところ、なんて、中目黒を知らない人はいないですよ!
そう、中目黒という町で育って。いまは、たん君が言ってくれたみたいに「知らない人はいない」っていうまちになってるけど、僕が小さかった頃はそんなまちじゃなかったんだよね。 目黒川沿いで缶蹴りして遊んで、駄菓子屋でこっそり買い食いして。全然“おしゃれな街”じゃなかったんです。そこから急激に、おしゃれ化というか、消費されるまちに変わっていった。
それはしらなかったです。
それが高校から大学くらいの時期で、すごく違和感があったんだよね。自分の“庭”というか“領域”を、勝手に人が荒らしているような感覚が当時からあった。商店街も、昔はお店の人が2階に住んで1階で商売をする感じだったのが、その頃からテナントとして借りる人たちが増えてきた。そうすると、お正月や年末年始にまちががらんとしていたり、まちにコミットしない感じがしてね。
その頃、尾山台で学校用品店を営む高校の同級生がいて、彼の家に遊びに行ってたんだけど、尾山台の商店街はとても平和だったんですよ。
中目黒が失ったものが、尾山台にはちゃんと息づいていた。10代の頃だから、いまみたいに言語化はできてなかったけど、「ここはなんだろう?」っていう気持ちはずっとあって。 で、話を少し飛ばすと、妻がピアノを弾く人なんだけど、結婚のタイミングでご縁もあって一緒に「piano atelier Fluss(フルス)」というイベントと音楽教室の場所を始めることになったんです。「尾山台にだったら自分たちの場を持つのもいいな」と思って。そこで尾山台で物件を探したら、運よく出会えて。
尾山台にいいイメージをずっと持ち続けていたんですね
場所を持つと、今度は自分のデザインの仕事をいろんな人が頼ってくれるようになって。小学校のポスターを作ってほしいとか、地元サッカーチームのロゴやユニフォームを作ってほしいとか、商店街のイベントもとか、そういう依頼が増えていった。 それで、商店街を歩いていたら、自分が作ったものが五つは目に入る、そんなまちになっていったんです。受け入れてくれるまちだし、必要としてくれる人が声をかけてくれる。そんな尾山台だったんですよ。 だから、本屋よりも先に、街へのコミットメントがあったんだよね。
高級食パンブームに我慢できなくて
ちょっと前に、高級食パンブームってあったの覚えてる?
ああ、ありましたね。すっ飛んだ店のネーミングの、あのブームですよね。
そうそう。あの時に、尾山台にも高級食パン屋ができたんですよ。尾山台には、すでに美味しいパン屋さんがいくつもあるから、正直出店の時点で「うーん」という、薄い憤りがあって。そしたら8か月くらいで撤退したんです。もう、「そんな気持ちならやらないでよ」って思ってしまって。生半可な気持ちで尾山台で通用すると思うなよ、という感じで。
そんな話を、まちの仲間と商店街を歩きながらしていたんです。その高級食パン屋は、いまのWARP HOLE BOOKSの場所で営業していたんですけど「ここには本来、本屋とか、まちを支えるものがあるべきだよね」って勢いで話していたら、その中のひとりが「私、ここの大家さん知ってるから言っとくよ」って言ってくれて。
そこで思わず「ほんと?じゃあ、本屋にしてって伝えておいて」とお願いしました。でもタイミングが悪くて、実はその時点で、次も高級食パン屋が入ることが決まっていたと分かって、本当に許せない気持ちになってしまって(笑)。
え、また同じ業態が。
そう。そのタイミングで「ここは本屋であるべきでしょ」という気持ちが強くなっていったんです。そのとき大家さんに伝えてもらった伝言が不動産屋に伝わって、後日「どうしますか?」て話になったんです。即決はできなくて「考えてみます」と、とりあえず返事をしたのですが、もし本当にやるなら自分にできるのか?って大急ぎで考えて、元書店員の知り合いや、助けてくれそうな人たちにLINEで一斉に相談したんです。みんなが比較的ポジティブで、「面白そう」みたいなリアクションがあって、どんどん引けなくなっていきました。自分も「ワンチャンあるかも」という気持ちになってきて。で、最後の砦というか、妻に相談したんです。当時、子どもが生後4か月くらいで、一番大変な時期。ちょっと止めてほしい気持ちもありつつ、寝かしつけたあとの時間に妻にその話をして。
一番大変なときに、大変な相談事を…!
そしたら妻が、「子どもに、親がやりたいことをやっている背中を見せるのは大事だと思う」って言ってくれたんです。めちゃくちゃかっこよく退路を断たれたというか、それを言われたらもう断れなくて。翌日、不動産屋に『借ります』と連絡しました。そこがスタートですね。“まち”が先にあったんです。
「起業家」じゃなくて「デザイナー」
自己紹介の話に戻るんですけど。さっき「デザイナーです」と必ず言うとおっしゃっていましたよね。黒川さんって、「起業家です」と自分のことを紹介することもできると思うのですが。
確かに。
会社を立ち上げたりもされているのに、自己紹介ではそのあたりをあまり話されないんだなと思って。何か理由があるんですか? その肩書きがご自身にしっくりこない、とか。
「起業している」という感覚がないのかも。えっと、大学を出て最初に働いたのがIT系のベンチャーで、いろんな曲折を経て、いまは楽天グループになっているんだけど。自分が実際に経験したからかもしれないけど、いわゆる“ベンチャー的なノリ”とは違っているような気がしていて。むしろそこから離れて、「自分として」生き始めるために事業をはじめた、という感覚のほうが強いです。
「起業する」というよりは、「自分としてどう生きるか」から始めている感じ。いまは少し会社っぽい体制になってきて、「自分として生きる」をどう実現するか。正直とても苦労しているところだけど。
なるほど。これは僕の印象なんですが、黒川さんってどこか品があるというか、控えめというか。「プレゼンテーション」とか「アピール」という言葉が似合うような、一般的にイメージされる起業家像とは少し違うように思いますね。
わ、それは嬉しいです。
SNSのプロフィールには「みんなでつくりたいデザイナー」と書かれていますよね。あれが黒川さんらしいなと感じていて。自分ひとりで突き進むというよりも、黒川さんが起点になって、人やまちを巻き込みながら、みんなで何かを形にしていく。そういうあり方を選んでいるからこそ、自然と人が集まってくるのかなと思います。
ああ、もう話したいことがどんどん出てきて困るんだけど(笑)。昔は強いリーダーシップを発揮したいと思ったこともあったんです。30代前半くらいのとき。「自分の力試しをしてみよう」と思い切ってチャレンジした。でも、それが恐ろしいくらいうまくいかなかった。これ、本当に黒歴史で、あんまり人に話してないんですけど…。
今の黒川さんからは想像がつかない。聞きたい、そういう話!
10人編成のバンドを組んでたんです。会社を辞めてフリーランスになるのとほぼ同じタイミングでね。仕事も含めて自分を試してみたかったんだと思う。もっと自分を見せたい、自己顕示欲かもしれないけれど、自分を表現したいという気持ちがあって。それで仲間を集めて、自分が主導するバンドをやったんだけど、3年半くらいかけて大崩壊したんです。
なんと……。
それはもう、本当に「挫折」という意味では人生でいちばん深く傷ついた出来事だった。誘ったメンバーは、みんなすごく仲のいい友達だったんだけど、人間関係も元のようには戻らなくて。
勝ち負けやアルゴリズム、覇気がない場所へ
いまのお話を聞いていて思ったのですが、黒川さんは自我とか自意識といったものを、うまくコントロールされているように感じました。
いやあ、どうだろう。うん……自我というより、それ以前の話かもしれません。もともと自分は受験勉強の世界をけっこうガシガシやってきて、いわゆる偏差値の高い学校や大学に進んだし、中目黒という場所に住んでいたりもして。“ヒエラルキー的な世界”の中では、常に「上のほうにいる」と扱われることが多かったんです。
父親も大学の先生だったので、そういう“先生”の世界にいる感覚もあって。10代の頃はずっと、その文脈の中で生きていました。だから、「上にいなきゃいけない」「負けたくない」「自分はもっとできるはずだ」という気持ちを持つのが、ある意味正しいことのように思っていたんですね。
でも、そのモードだと、あまり良い自分ではいられない。自我とかプライドみたいなものが前に出てきて、気づけば誰かと比べていたり、勝ち負けを意識していたりして。さっき話したバンドの時期もまさにそうで、、、「ああいう自分はもう嫌だな」と気づくまでに、バンドがぐちゃぐちゃになってから1年半かかりました。あの頃の自分を思い出すと、「このモードの自分、ほんとに嫌だな」って思う。
それ以来、勝ち負けとか優劣みたいな世界から、できるだけ離れたいとずっと思っていて。そういう場所に行くと、勝手に昔のモードが出てきてしまうから。たとえば自己紹介の場でも、「僕、〇〇大学出身で〜」みたいな話が出ると、こっちもなぜか構えちゃって、言わなくていいことまで言ってしまう。全然そんな会話をしたいわけじゃないのに。あの感じからは、できるだけ距離を取りたいんです。
たぶん、それと少し似た構造が、いまのSNSにもある気がしていて。noteもInstagramも、ただ思ったことを発信したいだけなのに、アルゴリズムがあって、「どちらが多く読まれていますか?」「どちらがより興味を持たれていますか?」みたいな、半ば強制的な“評価の世界”になってしまう。
そういう環境で自分らしさを保つのは本当に難しいんです。「評価を気にせずに書こう」と思っても、いつのまにか「これじゃ引きが弱いな」とか「冒頭に目次を入れたほうがいいかな」とか、そんなことを考えてしまう。いや、日記に目次って何だよ、って自分でも思うのに(笑)。
じゃあ逆に、評価を気にせず時系列で全部書こうとすると、今度は退屈で長いだけの文章になってしまう。「でもそれも違うな、読んでくれる人には何か感じてもらいたいし」と思ったりして。
そうですよね。そうなると、「じゃあもう自分の日記に書けばいいじゃん」って気持ちにもなりますよね。
そうそう(笑)。数日前に、YAMAVICO HAUSという出版レーベルをやっている友人の根本さんが、「自分を査定してくる人に会うと、その人から覇気みたいなものを感じて圧倒されちゃう」って話していて。なるほどなと思いました。「アルゴリズムがある」ということは、査定がある、そこに覇気があるということなんですよね。「どんなもんですか?」って。noteもインスタもThreadsも、覇気がバリバリ出てる。だから、あの世界でおだやかに発信し続けるのはすごく難しい。
でも、いまこうして話している場にはアルゴリズムもなければ、評価もない。だから自然に話せる。そこが大きいと思うんです。結局、優劣の話になると嫌な自分が顔を出してしまうから、そういう世界からは本当に離れたい。
(おしゃべり一夜目 おわり)
https://shipyard.design/exhibition/article01.html